「誰もわかってくれない…」この苦しみや悲しみが教えてくれたこと

自分の気持ちをわかってもらえないと、
不安になったり、悲しくなったりすることもあると思います。

 

僕も、機能不全家庭で育ち、
子供の頃から自分の気持ちをわかってもらえず、
誤解されたり、でっち上げをされたこともありました。

 

そして「誰もわかってくれない…」と、
深い悲しみや、孤独感、不安、恐怖、色々持っていました。

 

暗闇の中に吸い込まれていくような、
そんな感覚が、小さい頃からずっと、入眠時にありました。

 

この「誰もわかってくれない…」という苦しみ。
僕は、この苦しみが減りました。

 

どうして減ったのかというと、
一言で言えば、「サヨナラ・モンスター」に取り組んだからです。

 

言い換えれば「自己理解を深めたから」です。

 

僕は、「誰もわかってくれない…」と漠然と苦しみ、
その裏には、今思えば「わかってほしい!」、
「信じて!」というような思いが隠れていました。

 

そして、僕は未成年の時にとある施設に入ることになり、
そこでは厳しい生活が待っていました。
しかし、その厳しさの中には優しさもあり、
その優しさは、僕の存在を正しく見てくれるというものでした。

 

それまでは、不当に扱われ、不当に見られてきたので、
僕にとっては衝撃的だったのです。

 

自分をこんなちゃんと見てくれるところがあったんだ…と。
それが人生で初めてだと思います。「少し、自分をわかってもらえた」と感じたことが。

 

だけど、それもつかの間、約1年(13カ月間)でそこから離れ、
また元の機能不全家庭に戻りました。
その時は、機能不全家庭と言う言葉も知らず、
自分がどうして苦しくなるのかさえも、理解していませんでした。

 

そして、回復した心が、真っ逆さまに落ちていくような、
そんな感じで、精神的に限界になりました。
そして、自分を裏切り、薬物依存に走ったのです。

 

ここまで、僕は自分のことを誰かにわかってもらおうと必死でした。
それから、長い間、誰かにわかってほしい思いを持っていたんです。

 

だけど、表面上わかってくれることはあっても、
深い部分からわかってもらえることはなく、苦しみ、悲しみ、孤独感だらけでした。

 

寝ても覚めても、心は苦しい、
だから必死に誤魔化して、ますます苦しくなっていった。

 

そして、酷い体調不良や、精神的な問題などが重なり、
限界が来ていて、死を決意したのですが、、、

 

その時です。出会った人が僕の話を信じてくれました。

 

僕の家庭では、嘘を上手につく側が信じられ、
口下手で感情表現も下手で、言語化も上手くできなかった僕は、
いいようにすり替えられていたので、僕はいつも悪人扱いだった。

 

僕を信じてくれたのは、とある施設の先生、
そして、その時に出会った人です。

 

僕の表面上の強がった偽の姿ではなく、
心の奥の本音を見てくれたのです。

 

死を決意したのですが、
信じてくれる人に出会い、少し生きる希望を持つことが出来ました。

 

それからは本当、心が苦しかった。
だけど、その苦しみは無駄なことではありませんでした。

 

何故なら、今振り返ってみれば、
一番大事なことに気づくために必要なプロセスであり、苦しみだったから。

 

その一番大事なこと、それが「自己理解」でした。

 

この一番大事な「自己理解」に気づかず、
誰かにわかってもらおうとしていたのです。

 

僕は、自己理解を深めていきました。

 

・悔しい
・〇したいくらい憎い
・許せない!
・なんでこんなことをするんだ

 

色んな思いがありました。
その不当なもの、不条理をわかってほしかった。

 

だけどわかってもらえず、悪人として封じられた。
封じられているから、全てが裏目に出る。
だから黙ってくらうほうが、まだマシだった。

 

その言葉にできない思いを、
全部、自分で理解しました。
もう、言語化も出来る。
跳ね除けることも出来る。
暴き出すことも出来るし、
ある程度、家族に納得させることも出来るようになった。

 

僕は、自分で自分のことをわかってあげたのです。

 

これが、絶対に必要なことだと、僕は個人的に考えています。

 

実際に自己理解を深めた人だけがわかることがあります。
それは、「自己理解は本当に難しい」ということ。
わかる」というのは、簡単なことじゃない。

 

僕も、自己理解を深めるまでに、
たくさんのことを知った。

 

知るということは、時間もかかるし、
勉強するにはお金もかかることもある。

 

僕も、たくさんの本や、教材を購入し勉強し、
良かったものを色々と紹介もしてきた。

 

簡単に出来ることじゃない。
「自己理解(わかる)」は大変なことだったんです。

 

その大変なことを、
僕は、他の人に「誰かわかって!」と簡単に考えていたのです。

 

人は、自分のことを理解することだって難しいのに、
他人なら、なおさら難しいことなんです。

 

「誰かわかって!」というのは、
そんな無理難題を他人に押し付けようとしていたようなものなのです。

 

それもわかったし、自分で自己理解を深めたので、
今の僕は、過去の僕の苦しみや悲しみを、
誰かにわかってほしいと思わなくなりました。

 

自分が自分のことをわかっているから、大丈夫、
心が、満たされているのです。

 

「誰もわかってくれない…」、
この苦しみや悲しみが教えてくれたこと、
それが、「自己理解を深めることの大切さ」でした。

 

そして、それが形になったのが「サヨナラ・モンスター」です。

 

過去の僕の文章を読んできた方ならわかると思います。
過去は、文章から「お願い誰かわかって!」という感情がにじみ出ていたはずです。
そして今は、そんな感情を全く感じないはずです。

 

この強い思いは、死の恐怖も減るんです。(他の人はどうかわからない、僕の場合は)
人はどうせいつか死ぬし、たとえ死ぬ時が来ても、
自分が自分の味方であるし、良き理解者であるという、
「核」がしっかりしてくると、死の恐怖も減るんです。

 

以前の僕は、死が怖くて、死恐怖症みたいなところもありました。
言い換えれば、孤独恐怖みたいなものだったのかな。

 

「自己理解」を深めると、
心の中に、安定したものが出来るのです。

 

友達や、パートナーに理解してもらえることも、
それも幸せなことです。だけどそれは、他人ありきで成り立つもの。
永遠ではなく、何れ、消えるものです。

 

僕も、とある施設の先生にわかってもらえ、
その時は良かった。だけど、それは「支え」に過ぎないのです。

 

もっと強い安定したものは、
自己理解、自己信頼で出来上がっていくのです。

 

死ぬときは誰もが一人です。
だからこそ、自己理解が大切なのです。

 

人は一人で生まれてきて、一人で死んでいく。
だから、自己理解こそ、精神的な自立のために必要なことだと、僕は考えています。

 

これは余談ですが、「自己理解を深められる老人ホーム」があったら、

本当に素敵なこと、素晴らしいことだなって思います。
僕に大量にお金があったら是非やってみたいなと思う!

 

これから死を迎える人たちが、自信をもって、自己信頼を深め、
悲しんであの世に旅立つのではなく、堂々と、自分に誇りをもって旅立っていける。

 

そんな心の成長と、安心が生まれる「老人ホーム」。
名前は「ありがとう。

 

名前の意味は、
家族や、みんなに「ありがとう」、
そして、自分にも「ありがとう」と思えるようになるため。

 

日本中に、「ありがとう。」の名前の老人ホームがあり、
そこで、自己理解を深め、自己信頼を高め、
「ありがとう」が連鎖していく。

 

※調べてみたら、既に「ありがとう」の名前の老人ホームがあるので、
みんな、ありがとう。」がいいかなって思う。

 

そんなことが実現できれば、にほん日本中が明るく感じ、
お年寄りから、多くのことを学び、人の心は育っていく。

 

虐待も減り、良いことが増える。そう思う。

 

「ありがとう」は、日本の「心」ですから。

 

「ありがとう」で人生の幕を閉じる方たちが残すものを超える財産はないと思うな。

 

話は戻りますが、、、

 

自分で自分のことをわかってやらず、
自分で自分を見捨てておきながら、
他人に「わかって!」というのは、間違っていたなと僕は思いました。

 

自分を子供に置き換えて考えてみたら、
酷い親だなと。自分に申し訳なかったと思いました。

 

親が子供の気持ちを無視して見捨てておきながら、
隣近所の人に、「うちの子の気持ちわかってやってくんない?」と言ったとする。
これは、「毒親」だと言われ当然です。

 

僕は、心の中の小さな自分に対し、
毒親だったのです。

 

それに気づき、自己理解が深まって、
自分に対し申し訳なかったと気づき、毒を解毒し、
以前よりは、内なる自分に繋がることが出来たのです。

 

大切なことは、
自分が自分の親になり、自分をわかってあげることです。

 

それが出来ると、安心感が増えていきます。


あなたの心に残っている未処理未消化の感情

それが「まとまり(モンスター)」になって

問題を作り出しています。開放しましょう。

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