※写真はイメージです。
一部の人と話すのが苦痛で、強い嫌悪感を抱いていました。
話をしているだけで具合が悪くなるほどでした。
その一部の人を異常に嫌悪している自分がいることを、
よく考えてみたのです。
相手の声、しぐさ、声のトーン、相槌を打つタイミング、
こちらの話すことを切る、そしてそれを言おうとすると上手く封じ込められる。
そしてその繰り返しで頭痛がしていました。
つまり、生理的に受け付けないのです。
同じ空気も吸いたくないくらい嫌いなのです。
その嫌悪感の裏に、トラウマがあることが少しずつわかってきました。
ある人との、過去のたくさんの体験が、当時は処理しきれないほどで、
傷つきっぱなしなのに対処できないまま傷が深まっていったのです。
だから、ここまでの嫌悪感を持つことは正常である証拠です。
だけど、防衛のためか、似たような関係ない人にまで嫌悪するようになっているのです。
だから、少しずつ「区別」をしながら、切り離していこうと思います。
「本当に嫌いな相手」と「嫌いな相手に似ていると自分が思う相手」を。
その頃、家庭内で「楽しい会話、整ったスムーズな会話を教えて欲しかった。
そんな家庭にしてほしかった。」ということを親に期待していたのです。
だけど、会話をするだけで具合が悪くなるほど嫌悪するコミュニケーションを経験したからこそ、その逆を生み出しているのだと思います。
嫌悪したままではなく「嫌悪するタイプとの会話から楽しい部分を見つける」ことが自分に必要なことで、これが身についていけばこの問題も解決すると思います。
これは同族嫌悪ではないので、嫌悪感を持つほど嫌いな相手は嫌いなままでいい。だけど、自分が具合が悪くなることは変えたい。だから、新しい解釈を手に入れて、「嫌悪感を持ちながら楽しむ」ようになっていきたいと思うようになりました。
そして、嫌悪感を感じる相手との会話から愛好感を感じれる部分を探してみて、相手を違う視点から見れるように自分が変わっていけば良いなって思いました。この問題の1つのゴールはここかな?と思いました。
少しずつ、やってみます。