僕はこれまで、「過去を振り返るな」「過ぎたことは考えないほうがいい」という助言を、そのまま受け入れることができませんでした。なぜなら当時の僕にとってそれは、役に立たないどころか、むしろ有害に感じられていたからです。そして今回あらためて研究を調べてみると、その感覚は決して的外れではなく、つらい経験や感情をただ抑え込み、考えないようにし続けることには、長期的に見て危うさがあることが見えてきました。巷でよく言われる一般論も、そのまま鵜呑みにしないほうがいい。少なくとも今回のテーマについては、そう感じさせるだけの研究がある。
「つらいことは忘れたほうがいい」「もう過ぎたことなのだから流したほうがいい」。
こうした言葉は、たしかに一時的には心を守る働きをすることがあります。けれども、心理学の研究を見ていくと、つらい経験や感情を、ただ抑え込む・避ける・考えないようにし続けることは、長い目で見ると不調の維持や悪化と結びつきやすいことが、かなり一貫して示されています。特に、思考抑制、体験の回避、反すう、トラウマ関連の回避は、侵入思考、不安、抑うつ、PTSD症状の維持と関係しやすいことが報告されています。
ここで大切なのは、研究が示しているのは**「つらいことを無理に忘れようとし続けるのは、回復の近道になりにくい」という点であって、「過去を何度も思い返せばいい」**という意味ではない、ということです。実際、研究では「反すう(同じ苦しみを頭の中でぐるぐる繰り返すこと)」も不調と強く関連していました。つまり、回復に役立つのは、抑え込むことでも、反すうすることでもなく、安全な形で心の中を扱い直すことだと考えるのが、いちばん研究に忠実な理解です。
まず結論から言うと、研究で強く言えること
いまの研究を丁寧にまとめると、次のように言えます。
「つらい経験や感情を、ないもののように扱い続けること」は、短期的には楽でも、長期的には侵入思考やストレス反応、抑うつ、PTSD症状を維持しやすい。
ただし同時に、抑制がどんな場面でも必ず悪いわけではないこともわかっています。訓練された短期的な思考コントロールが役立つ可能性を示した英国の研究もあります。ですから、正確に言うなら、問題なのは「一時的に距離を取ること」そのものではなく、慢性的に、繰り返し、内面を処理せず回避する生活パターンです。
研究1 米国研究
「考えないようにする」と、あとで戻ってきやすい
筆頭著者・所属
ジョナサン・S・アブラモウィッツ(Jonathan S. Abramowitz)。当時の所属は米国メイヨークリニック精神医学・心理学科です。共著者はデイヴィッド・F・トーリン、ゴードン・P・ストリートでした。
どんな研究か
2001年のメタ分析で、思考抑制に関する統制研究をまとめて検討しています。
何がわかったか
この研究では、**思考抑制には小~中程度の「リバウンド効果」**があると結論づけられました。つまり、「考えないようにする」努力そのものが、あとからその考えを思い出しやすくしてしまう場合がある、ということです。
ここで重要なのは、研究が示しているのが「今この瞬間に必ず悪化する」ではなく、抑えた後で戻ってきやすいという点です。ですから、「その場は静かになったように見えても、心の中では終わっていない」というあなたの感覚は、かなり研究と重なっています。
研究2 英国研究
交通事故後の967人を追跡すると、「抑え込み」は維持因子の一つだった
筆頭著者・所属
アンケ・エーラース(Anke Ehlers)。オックスフォード大学リサーチアーカイブでは、英国オックスフォード大学・実験心理学部所属と記録されています。共著者はリチャード・A・メイユー、ブリジット・ブライアントです。
どんな研究か
1998年の前向き縦断研究で、交通事故後の患者967人を、事故直後、3か月後、1年後に追跡しました。
何がわかったか
この研究では、慢性化するPTSDの予測において、侵入思考の否定的解釈、反すう、思考抑制、怒りに関する認知などの「維持因子」が予測精度を高めました。特に1年後のPTSD症状を強く予測したのは、3か月時点での侵入思考の否定的解釈、持続する身体的問題、反すうでした。
ここで正確に言うなら、思考抑制は“最強の予測因子”ではありません。しかし、慢性化に関わる維持因子の一つとして明確に位置づけられています。つまり、「ただ忘れようとすること」だけで回復するわけではなく、心の中で起きていることへの意味づけや、反すう・抑え込みの仕方そのものが、その後の不調に関係する、ということです。
研究3 米国研究
トラウマ後の「体験の回避」は、その後のPTSD症状を予測した
筆頭著者・所属
ブライアン・P・マルクス(Brian P. Marx)。当時の所属は米国テンプル大学心理学科です。共著者はデニス・M・スローンでした。
どんな研究か
2005年の前向き研究で、外傷体験をした185人を対象に、外傷直後の解離傾向、体験の回避、PTSD症状を測定し、その後4週間後・8週間後の症状との関係を調べました。
何がわかったか
ベースラインでは解離傾向も体験の回避もPTSD症状と関連していましたが、初期のPTSD症状を統計的に調整すると、その後4週後・8週後の症状を予測したのは体験の回避だけでした。
これはとても重要な結果です。なぜなら、単に「つらい体験をしたから苦しい」のではなく、苦しさへの対処として“感じない・触れない・避ける”方向に傾くこと自体が、その後の症状維持に関わる可能性を示しているからです。
研究4 米国研究
回避的な対処は、新しいストレスを増やし、10年後の抑うつにもつながった
研究者・所属
チャールズ・J・ホラハン(Charles J. Holahan)は米国テキサス大学オースティン校心理学科、ルドルフ・H・ムース(Rudolf H. Moos)は米国退役軍人局医療システム/スタンフォード大学精神医学・行動科学、キャロル・K・ホラハンはテキサス大学オースティン校キネシオロジー・健康教育学科所属でした。
どんな研究か
2005年の10年縦断研究で、1,211人を3時点で追跡し、回避的コーピング、生活ストレス、抑うつ症状の関係を検討しました。
何がわかったか
ベースラインの回避的コーピングは、4年後の慢性的ストレス・急性ストレスの両方を有意に予測し、さらにそれらのストレスが10年後の抑うつ症状につながっていました。著者らは、回避的対処が新しいストレスを生み、そのことを通じて将来の抑うつと結びつくモデルを支持しています。
これは、「つらいことから目をそらすことは、単に問題を放置するだけでなく、別のストレスまで生み出しうる」という意味で、とても重い結果です。あなたが感じている**“未処理のものが後で別の悪影響になるのではないか”という見方を、現代研究の言葉で言い換えると、まさにこのストレス生成モデル**に近いです。
研究5 米国研究
感情を抑え込むと、体は静かになっていないことがある
筆頭著者・所属
アレクサンドラ・T・タイラ(Alexandra T. Tyra)。所属は米国ベイラー大学・心理学・神経科学部です。共著者はトーマス・A・ファーガス、アニー・T・ギンティでした。
どんな研究か
2024年の定量レビュー(メタ分析)で、24研究を対象に、感情抑制と急性ストレス時の生理反応の関係を検討しました。
何がわかったか
実験的に感情抑制を指示された群は、対照群よりも生理的ストレス反応が強く、その効果は主に心臓系、血行動態系、神経内分泌系で見られました。著者らは、抑制が複数のストレス反応系の覚醒を高めるとまとめています。
これは、外から見ると平静でも、内側では終わっていない、ということを示す研究です。つまり、「気にしないようにしたから処理できた」わけではなく、むしろ体のレベルでは負荷が上がっている場合があるということです。
研究6 ドイツ研究
PTSD症状と「反すう・思考抑制・体験回避」は、まとめてみても関連が強い
筆頭著者・所属
サンドラ・ミーテ(Sandra Miethe)ら。所属はドイツ・Medical School Hamburg 心理学部/臨床心理学・心理療法研究所です。
どんな研究か
2023年の系統的レビューとメタ分析で、75研究・189効果量を対象に、PTSD症状と反すう、思考抑制、体験回避の関連を統合しました。
何がわかったか
PTSD症状との関連は、反すうで大きい効果(r=.52)、体験回避でも大きい効果(r=.48)、**思考抑制でも中程度の効果(r=.29)**が見られました。著者らは、縦断研究では関連がやや弱まるものの、それでも相当程度に残ると述べています。
ここから見えてくるのは、回復を妨げるのが「考えないこと」だけではなく、考えすぎること(反すう)もまた危ういということです。だからこそ大切なのは、**抑圧でも反すうでもない“処理”**です。なお、この研究は観察研究をまとめたもので、因果関係を単独で証明する研究ではない点は押さえておく必要があります。
研究7 英国研究
ただし、抑制がいつでも悪いわけではない
筆頭著者・所属
ズルカイダ・ママト(Zulkayda Mamat)とマイケル・C・アンダーソン(Michael C. Anderson)。所属は英国ケンブリッジ大学 MRC認知脳科学ユニット、およびケンブリッジ大学 行動・臨床神経科学研究所です。
どんな研究か
2023年の実験研究で、16か国から集まった120人の成人を対象に、恐れている未来イメージを3日間にわたって抑制訓練する課題を行いました。
何がわかったか
この研究では、抑制訓練によって恐怖イメージの鮮明さや感情的強さが下がり、しかもPTSD傾向・不安・抑うつが高い群で、むしろ改善が見られたと報告されています。3か月後にも、恐れの抑制訓練を受けた群では、抑うつの低下がより大きく、「抑制は必ず危険」という見方には反する結果でした。
ただし、この英国研究をそのまま「だから普段から感情を押し殺せばいい」と読むのは危険です。ここで扱われたのは、研究者の指導のもとで行う、短期間の、構造化された思考抑制訓練であって、日常的に感情をなかったことにする慢性的な回避とは同じではありません。
ですから、研究全体としては、慢性的な回避は不利になりやすいが、訓練された限定的な認知コントロールには、条件つきで有用性がある、というのがもっとも正確なまとめです。
臨床の方向性も、「避け続ける」より「扱い直す」ほうを向いている
この流れは、PTSDの臨床ガイドラインにも表れています。米国の**退役軍人省・国防総省(VA/DoD)**の2023年ガイドラインは、系統的レビューに基づいてPTSD治療の推奨を整理しており、トラウマ焦点の心理療法を重視しています。また、米国PTSD国立センターは、持続エクスポージャー療法(PE)は、あらゆる臨床ガイドラインで最も強い推奨を受けている治療の一つだと説明しています。
つまり、専門的治療の世界でも、「避け続ければ自然に終わる」というより、安全な形で向き合い、意味づけや反応のしかたを更新していく方向が主流だということです。
では、「処理する」とは何を意味するのか
研究をふまえて言うと、「処理する」とは、何度もつらい出来事を反芻することではありません。
処理とは、たとえば、自分の中で何が起きているのかに気づくこと、言葉にすること、感情に意味を与え直すこと、侵入思考を“危険な証拠”としてではなく“心の反応”として理解し直すことです。研究で問題視されているのは、感じることそのものではなく、感じることを無理に消そうとすることや、逆に終わりなく頭の中で煮詰め続けることです。
ですから、「過去への執着が悪い」という言い方は、半分は正しく、半分は不正確です。
正しいのは、過去にとらわれ続けて反すうすることが苦しみを深めやすい、という点です。
不正確なのは、過去の痛みを扱わずに流してしまえば回復すると考えてしまう点です。研究全体は、むしろ後者に慎重です。未整理の感情や記憶に対して、回避を重ねるほど、侵入思考やストレス反応や不調が維持されやすい。この理解が、いちばん実証研究に近いと思います。
まとめ
研究を総合すると、「つらいことは考えないようにすればいい」という助言は、長期的にはかなり危ういと言えます。
- 一時的に楽になったように感じても、つらい感情や記憶そのものが整理されないまま残りやすい
- 「考えないようにしよう」とするほど、あとでその考えや記憶が逆に浮かびやすくなることがある
- 心の中で未整理のまま残ったものが、別の場面で不安、イライラ、落ち込みとして表れやすくなる
- 問題そのものに向き合えなくなり、根本的な解決や意味づけの見直しが進みにくくなる
- 回避するクセが強まることで、日常のストレスや人間関係の負担が積み重なりやすくなる
- 侵入思考やフラッシュバックのように、忘れたい内容が不意に戻ってきやすくなる場合がある
- 感情を抑え込んでいても、身体のストレス反応は下がらず、むしろ高まりやすいことがある
- 「つらいものは避けるしかない」というパターンが固定されると、回復に必要な心の整理が進みにくくなる
- 結果として、不安、抑うつ、PTSD症状などが長引いたり、慢性化したりしやすくなる
- 表面的には落ち着いて見えても、心の奥では苦しみが持ち越され、別の形で後から影響が出やすくなる
考えないようにすることは、一時的には心を守るように見えることがあります。けれども研究を総合すると、それを繰り返し続けると、長期的には心の不調を維持したり、別の形で苦しみを残したりする可能性があることが見えてきます。
だからこそ、無意識の中に残っている未処理の問題を、できるだけ解決の方向へ進めていくことが大切になります。サヨナラ・モンスターは、そのために未処理の感情や認知を見つけ、整理し、長期的に見た心の不調の維持や悪化を防ぐ助けになりうる方法だと言えるのです。
世の中では、「過去を振り返るとつらくなるのだから、なるべく考えないほうがいい」とよく言われます。けれども、今回見てきた研究は、つらい経験や感情をただ抑え込み、避け、考えないようにし続けることが、必ずしも心の回復につながるわけではないことを示していました。
実際に、思考抑制にはリバウンドがあり、体験の回避はその後のPTSD症状を予測し、回避的コーピングは新しいストレスを生み、感情抑制は身体のストレス反応も高めやすいことが報告されていました。さらに、PTSD症状は反すう・思考抑制・体験回避と広く結びついていることも示されていました。
つまり、「考えないようにする」という方法は、一時的には少し楽になったように感じられても、心の中で起きていることを本当に終わらせるとは限らず、むしろ長い目で見ると不調を維持したり、別のかたちで苦しみを残したりすることがある、ということです。
もちろん、だからといって、何でもかんでも全部直視し続ければいいわけでもありません。研究が示しているのは、抑え込むことが危ういということであって、延々と考え続けることが良いという意味ではありません。実際には、同じ苦しみを頭の中で何度も繰り返す反すうもまた、心の不調を深めやすいことが知られています。
大切なのは、抑え込むことでも、反すうすることでもなく、安全な形で、自分の心の反応を扱い直していくことなのだと思います。
僕自身、ずっと「過去を振り返るな」「過ぎたことは考えないほうがいい」という助言に強い違和感を持ってきました。なぜなら、それは僕にとって、助けになるどころか、むしろ有害に感じられていたからです。無理に考えないようにしても、ただ意識の表面から遠ざかるだけで、心の奥では何も終わっていない。僕はずっと、そう感じてきました。
そして今回、研究を丁寧にたどってみて、その感覚は決して独りよがりなものではなく、現代心理学の研究ともかなり整合的であることが見えてきました。
だから僕は、「処理しないまま流しただけでは、あとで別の悪影響になりうるのではないか」という自分の考えは、少なくとも今回のテーマに関しては、かなり本質をついていたのではないかと思っています。
巷でよく言われる一般論は、わかりやすく、耳ざわりもよいものです。けれども、それが本当に自分を助けるとは限りません。今回の研究を通して見えてきたのは、「考えないようにすること」がいつも正解とは言えないということ、そして本当に大切なのは、表面的に忘れたふりをすることではなく、自分の中に残っているものに気づき、それを少しずつ丁寧に扱っていくことなのだ、ということです。
多くの人は、「今の回避・逃避」を選びがちです。根本的な解決から目をそらし、つらいことを考えないようにすることを自分の中で正当化しながら生きていくこともあると思います。もちろん、それがただちに間違いだとは言えません。けれども研究を総合すると、その選び方は長期的には心の不調を維持したり、苦しみを別の形で残したりする危うさをはらんでいる可能性があります。
そして、この長期的な危うさは、単に心の苦しみが長引くというだけではありません。米国カリフォルニアの研究でも、PTSDのような強いトラウマ反応を抱えた人は、その後の認知症リスクが高まる可能性が示されています。たとえば、米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)とカイザー・パーマネンテ北カリフォルニアのジェイソン・D・フラット博士、レイチェル・A・ホイットマー博士らは、北カリフォルニアの高齢者約50万人を追跡し、PTSDと認知症リスク上昇の関連を報告しました。また、UCSFとサンフランシスコ退役軍人医療センターのクリスティン・ヤッフェ医師らも、米国退役軍人を対象に、PTSDのある群で認知症発症リスクが高いことを示しています。因果関係までは断定できないとしても、つらい体験の影響を長く未処理のまま抱え続けることには、こうした観点から見ても、やはり軽く見てはいけない危うさがあると言えると思います。
僕のおすすめは、無意識下(自分で気づいていない領域)にある心理的な問題(未処理)を意識化し、それを一つ一つ解き明かし、心理的成長に繋げることです。そこから逃げることが簡単です。しかしそれは自分を見捨てて裏切ることになる場合もあります。研究を総合すると、長期的な逃避や回避には、危うさにつながる可能性があります。
参考文献
- ジョナサン・S・アブラモウィッツ、デイヴィッド・F・トーリン、ゴードン・P・ストリート
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