独裁国家のような家庭で育ったけど「ありがとう」と思うように心が変化している

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今回は、過去の苦しみを転換させるために書きたいと思います。

振り返ってみると自分の人生「楽しい」という気持ちになれず、
嫌なことが多かった。
拠点である家庭、家族間がずっと嫌なものだった。
戦時中のような空気で、一切の気持ちが理解されず無視され責められて育った。

これは経験していない人には感覚はわからないと思う。
心が死んでいく・・・そんな感じです。

兄弟の悪事が隠蔽され俺が悪者にされ続け、
楽しい感情がまったく出なくなり、
笑顔も出なくなり、
死のことばかり考えるようになり、
「笑顔がない」と兄弟からは責められ、
親からは「弱いことはだめ」だと責められ、
生きていることが嫌になった。
家族や家庭、これは「冷たい悲しみ」だった。

この「冷たい悲しみ」をずっと考えたり、
感じたり、向き合ったりしてきました。

そこからわかってきたことがあるんです。
「この冷たい悲しみは俺のものじゃない」と。

じゃあ誰のもの?

「親」が抱えていた感情、
それが「冷たい悲しみ」だったのです。
「冷たい」を「深い」に置き換えても良いかな。

親と子は、感情を共有している場合があります。

この深い悲しみは、親の悲しみだったのです。
(後に、話し合いをして確認した)

苦しんで、悲しんで、深さを知ると、
少しずつ、親の苦しみや悲しみがわかってきたんです。

俺は子供の視点で親を見て不平不満を言っていた部分もあった。
自分が成長してくると、子供の視点ではなく、
親を一人の人間として見れる一対一の人間としての視点で見れたんです。

その視点では、それまでとは全く違った世界があったのです。
独裁国家を家庭に築いた親の、恐怖、悲しみ、弱さ、そんな中での家族愛。

色々、気づきました。
俺の場合だけど、子供の視点で見れば悪魔に見えることがある。
だけど、どんな人にも心はある。良心もある。
それに気づくか気づかないかは自分次第なのです。

「深い悲しみ」を「雨」で流してほしいな。
突然この歌を聴きたくなった。

雨の後には晴れが来る
雨降って地固まる

悲しみの喩えである雨は、
心が晴れて、強くなっていけるのだと思うな。

俺は、少し、成長した視点を手に入れた。
強くなったのです。支配されない自分ということ。

過去は確かに辛く、苦しかった。
心が死んでいく過程をジワジワと味わったことも悲しかった。
笑えず、重度のうつだったかもしれない。
そんな時に笑えないことを責められたり、
やってもないことをやったと扱われ続け、怒りが爆発したこともあった。
それさえも巧みに封じられた後は、心が死んでいく感じだった。

そして心は落ちていった。
そして底に落ちて、わかったことが「自分が自分の親になればいい」と、
わかったのです。

「大丈夫、笑えないというありのままの自分を大切にしていいんだよ」
「どんな自分の感情も大切な感情、自己嫌悪も、自己否定もしなくていい」

自分にこう伝えてた。

自分よりも家族のことを考えることが大切だという空気が強かった中育ったので、
俺にとっては「自分を大切にする」=「死に値するくらいのこと」だったから、
自分を大切にするってすごく難しかった。

少しずつ自分を大切にすることが出来るように成り、
親を許すことが出来るようになってきた。
もちろん、許す必要がないこともある。

自分は自分、家族であっても全く別の人間。
だから相手のことも認め、合わない者からは離れればいい。

そして「区別」「尊重」が手に入る。

つまり、俺は一連の流れを通して、
大事なことを学んできていたのです。

過去の苦しみは1回で消えるもんじゃないけど、
こうして書き出していくことで、ゆっくり、少しずつ、変化していることがわかる。

独裁国家のような家庭ではあったけど、
そんな中でも、1人の人間(親)が一生懸命だったことは、今はよくわかる。

「ありがとう」。

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