コミュニケーションをとっている時の、
「相手の嫌な反応」に対し、
「適当に聞かれている(扱われている)」と感じて、
自己無価値感を感じました。
今回、サヨナラ・モンスターのツールを使うことで、
新しい良い発見をして気持ちの変化が起こったので、
そのことをまとめておきます!!
今回、コミュニケーションをとった時に、
既にお伝えしたように、「無価値感」を感じていました。
この感情は、過去のものでした。
これは、どういうことかと言いますと、
過去に(子供の頃から)、家族から扱われた時に抱いた感情だったのです。
(抱いたけど、その感情をしっかり味わうことはなかった)
子供の時に機能不全家庭で自分の話をちゃんと聞いてもらえずに育ち、
その時の感覚で、今を見ていた。今回の問題である以下のこと。
コミュニケーションをとっている時の、
「相手の嫌な反応」に対し、
「適当に聞かれている(扱われている)」と感じて、
自己無価値感を感じました。
これは、過去のものだったのです。過去のものが未解決だったので、
それを無意識のうちに、知らず知らずのうちに、
今の似たような場面で再現されていたのです。
「今回の相手の嫌な反応」は、
「過去の、家族から適当に扱われた時の家族の反応」と違うものなのに、
無意識のうちに同じようなものに感じて、自己無価値観を感じていたのです。
つまり、ここに「勘違い」があったということ。
そして、このようにすぐマイナスに直結していたのは、
「そんな適当でいい加減なコミュニケーションをとり続けた家族だったから、
不幸な家族になった…、だから嫌で仕方がない」のような解釈(考え方)があった。
つまり、僕は、
「正常なコミュニケーションをとってほしかった」のです。
心を込めて丁寧に1つ1つちゃんと健全な反応してほしかったのです。
自分が欲しいものは自分が手に入れていけばいい。
そのことから、自分には「丹念(心を込めて念入りにする)」のような、
1つ1つをちゃんとやるための隠れた能力があることが少しずつ分かってきました。
自分がこの能力を高めないから、
家族に「心を込めて丁寧に1つ1つちゃんと健全な反応してほしかった」と期待していたのです。
つまり「自分はやらないから、あなたたちやってよ!」という他力本願だったのです。
それが自分の問題でした。
この問題は、
「丹念(心を込めて念入りにする)を手に入れる・身につけるチャンス!」だとわかりました。
自分に足りないのがまさにコレです。
適当で、いい加減で、1つ1つをちゃんとやらない自分がいます。
丹念のメリットは「より良い結果や成果に繋がる」ことなので、
自分に必要なことです。
今回の、「適当に聞かれている(扱われている)」と感じて、
自己無価値観を感じて嫌な気持ちになっていた問題は、
「丹念に行え!」と教えてくれていたかのようです。
そして、それを活かしていくために役立つ感情が、
「有価値感」であることもわかってきました。
コミュニケーションをとっている時の相手の反応は、
自分のコミュニケーション能力や思いやりの度合いを表していることに気づきました。
つまり、今回の、
「相手の嫌な反応」に対し、
「適当に聞かれている(扱われている)」と感じて、
自己無価値感を感じていた問題、
この問題が教えてくれたことは、
「自分のコミュニケーション能力を高めることが必要で、それにより解決できる問題だ」ということです。
子供の時にずっとあった、
「適当に聞かれている(扱われている)」という悲しみや、
自己無価値感を、最後までしっかり感じきりました。
しっかり感じきることで納得が起こり、
自然と「丹念(心を込めて念入りにする)を手に入れる・身につけるチャンス!」という考えに移れるようになりました。